「上からの知性押し付け」は存在するのか
以下では、白饅頭氏の言説というものが、一体どこに位置づけられて、その背景はどうなっているのかを考えます。
学問では下からやってくるはずの権力に対して、なぜ上からの知性押し付けを感じるのか。高学歴で偏差値の高い「リベラル」の人が知を啓蒙する活動と、体系的な知を分けて考えると、原因が垣間見えてきます。
注意していただきたいのは、この記事はなんら人格批判するものではないということです。あくまで白饅頭氏の言説が、一体どこに位置づけられて、その背景はどうなっているのかを考えます。
・権力は下からやってくる
さて、メロンダウト氏によれば、白饅頭氏による内面からの市民感覚を優先する態度が、体系的な知と衝突する、と。市民感覚の優先に対して、知性がないと説いても意味をなさないし、届くものでもない。これが議論の前提になります。
いきなり真逆の話をしますが、権力は下からやってきます。
私が強く違和感を感じるのは、知的エリートが「正しさを上から押しつけている」という「抑圧の仮説」が、本当に存在するのかという部分です。M. フーコーが述べること*1に従えば、たとえば王政に対する市民革命や、また資本主義のように、権力は下からやってきて、やがて支配的になります。
だから、マス媒体に記事を掲載する人の、市民の代弁のような目的を持つ言説が、ミソジニーも含めて、下の方から操ろうと頭に入り込んでくる。すると、次第にボーイズクラブ化して、多数の支持を集めて顕在化する蓋然性は考えられることです。*2
レヴィ=ストロースのいうように、「野生の」思考*3が、たとえ完全ではないとしても、体系的でないということはありません。ところが、どうも「市民」の経験に基づく知は体系的ではないという「市民」からの「ミソジニー(自己嫌悪)」を持つ人もいます。
人類は神話でも『職場の教養』*4でも、体系に影響されて日々生きています。内面であれば、特にそうでしょう。ではなぜ、体系知に対する嫌悪が発生するのでしょうか。違和感の原因は「流動化」した現代にあると考えられます。
・単なるミソジニーではないその先にある「流動性」
「市民」や「市民感覚」がどういうものかは厳密にするには難しいけれども、Z. バウマンのいうような「流動化」*5、ドゥルーズのいうような「ゾーニングによる配置転換」*6が作用して体系を失った「市民」というものがあるなら、その空白に何かが入り込む余地はあります。一方で、それはどういうものか。それは、白饅頭氏の言説なのでしょうか。
この問題には、日本の『リベラリスト』*7に特有の歪みも含まれています。日本のリベラルは、「郊外の田舎」の日本人に知識を「啓蒙」しているのです。また、彼らは高学歴を愛し、それに依存しています。この状況は、たしかに"上から正しさを押し付ける "ことに似ていますし、外側から見たら滑稽でしょう。
重要なのは、彼ら彼女らは単なる偏差値エリートであって、知的エリートではないという点です。
結局、こういった環境や人が、アマチュアさえも包含する学問の知とは別の「何か」を生み出している。そういうところに、その対抗としての白饅頭氏の言説が生まれるという、さらに複雑な事態を招いているのです。
・代替不可能な個は生み出せるか
どちらにしても、流動化されたままの連中は、それは当事者としての私も含めてですが、生き残れないし負け続けます。ここで、白饅頭氏がなにを代弁しようと、企業と資本主義、グローバリズムが生む「衆愚」的な流動化*8に対しては無駄だと考えます。それはもはや知ではないし、生きる知恵でもない。それは「権力」を含む言説です。それよりも、流動社会に対抗できる「代替不可能な個」を創出するべきです。*9そのためには、流動的でころころかわる言説のコミュニティや、公共サービス、社会福祉ではどうにもならないのです。
「パンと見世物」より(自助に根ざした)知識を!職業訓練を!*10というのではなくて、ちゃんと流動化した個々にお金を渡す。で、パンを買う。要は再配分をするしかないのです。でなければ国家の物語とその「信用」が崩壊してしまうので、お金を持っている人も含めて、もっと大変な話になってしまうのです。
*1:『性の歴史 I 知への意志』、ミシェル・フーコー著, 渡辺守章訳、新潮社、1986
*2:白饅頭みたいな確信犯が凍結もされずに有料noteで小銭稼げるのが今の残念なインターネットであり、それがボーイズクラブ化して一部アカデミズムにも影響を与え、数年がかりで醸成されていたものが一気に噴き出たのが今回の騒動という話でしょう。 https://t.co/vlCB8QeWNk
— 津田大介 (@tsuda) 2021年3月21日
*5:『リキッド・モダニティ―液状化する社会』、大月書店、2001
*6:『記号と事件―1972‐1990年の対話』、河出文庫、1992 cf. 「追伸―管理社会について」
*7:
*9:『レヴィ=ストロース入門』、小田亮、筑摩書房、2000
*10:職業訓練では「工賃」という形で税金にあたらない額が支給されるが、せいぜい1万円程度であり、なかには不幸にも数十年そこに居続ける者もいる。自助とはなんだろうか