たのしいお勉強

たのしいわけないだろ

組み合わせとtwitter言論の分析 〜nCrを用いて考える

どうもある種の「twitter言論」に突き動かされる向きには「n個の仮想敵」があって。たとえば、肯定派・否定派にわかれるコロナワクチン、原発稼働、ロシアかウクライナか、など。それらを、あたかも相関関係があるかのように都合よく(恣意的に)「組み合わせ」ることで、反対か賛成かを選択させる「リスク化」が現れる。

 

  cf. nCr=nCn-r 異なるn個からr個取り出して組み合わせを作る

 

  もちろんrはn個に限られてしまう(0 ≦ r ≦ n)。

 

n個の仮想敵の要素には具体的に何があるのかしら。原発、これは外せない。子宮頸がんワクチン、陰謀論、ロシア、フェミニスト、マイノリティ、地球温暖化、右翼左翼、安倍晋三民主党、SEALDs、富士山噴火、地震、…etc. 忌避なくどんどん語られてほしいなあ。でも、それを忌避する語りも欠かせない。

 

大きな要素も、中位の要素も、また時間の経過と比例して小さくなっていくものもあるでしょうね(「通時性」)。そのn個の中から異なるr個を選ぶ操作をしているときに、共時性があって、言説になると考えています。

 

多分この理屈で、主体客体を意図しない分析ができる。これが、そも文化人類学の基礎になる出発点であったのだけれども、いつのまにか記憶は忘れがちに。言説だけが浮遊してしまう。私は頭が悪い。そこで、数的処理を思い出すことで、原点に立ち返ることになります。

 

こういう数学的構造はとても難しいかもしれないし、逆に簡単なのかもしれないし、正直難易度はわからないけれども、ひとつの捉え方としてあるわけで。

 

もうひとつ、忌避とはタブーであって、そこにも興味があります。なぜ忌避するのか。そも忌避とは何か。『親族の基本構造』における女性の交換という贈与交換のことも思い出します。興味深い。

 

語りの中で「忌避」を設けるということは、内と外を分離していく行為に他ならないのでは。右左ではなくて、そこには部族の交流があります。この類推(アナロジー)で組み合わせを考えていくと、いろいろ見えてくるものがあるのですが、まあこれはまた別の機会に。もしかしたら、「仲間」を作りたいのかも。