たのしいお勉強

たのしいわけないだろ

夏休みの宿題

蒸し暑い日が続きます。窓を開けて扇風機を回して凌いでおります。

夏休みといえば、私の思い出は何といっても宿題です。いや、宿題なんかやらないで、若い人たちには思い出いっぱい作ってほしい。そうはいっても、虚構と現実の間にある残された夏休みの課題の山、という事実はただただ残酷ですね。

夏休みに、宿題はどうしていたでしょうか。私は、高校を出るまで、夏休みの宿題は夏休み中にやる気がなく、答えを配られるまで適当な言い訳をし、答えを見て、それを写してから提出していました。成績に関係ないし、勉強ができるようになるわけでもないからです。
直近での成績との関係で夏休みの宿題を考えてみると、宿題の提出状況は成績に影響しますが、具体的にどう影響するのか、事前には全く分かりません。宿題を提出しなくても、その後の努力次第で2学期の成績は変化するでしょう。
夏休みの宿題をきちんとやれば、勉強ができるようになるわけでもありません。私は、答えのついていない宿題や、手作り問題などは、教師のマスターベーションかオナニーより他に何物でもないと考えています。
たとえば、参考書を買うと、詳しい解説が必ずついてきます。最初から問題が解ける人はいないのです。少なくとも私には無理です。だから、理由や過程が示されている答えを必ず見て、解説を読んで、なぜその答えになるのか納得しないと、理解をしないままになってしまいます。
ところが、夏休みの友なり宿題は、答えのついていないものを渡されます。それを、塾なり自宅なりで、やれ、と。しかし、答えもないのに、何を学べるというのでしょうか。何をも学べませんよね。世の中は、その極を捉えるなら、どこまでもつかみどころなく不合理で、非効率的にできています。やがて、高校生になった名誉会長少年は、自分よりも教壇の大人が、はるかに馬鹿だと気がついてしまいます。ぼくもたいがい馬鹿だがお前ほどではないということですね。
宿題や課題そのものに対しても疑問があります。高校時代、大量の英文を、何の解説もなしに訳してこい、という宿題がありました。それ以来、宿題とはなにか、それは正しいものか、考え続けました。それで、結局のところ宿題は迷惑で、必要のないものと考えてほぼ間違いはないという結論に至りました。その場合には、どのような理由があるでしょうか。
ひとつは、答えを配らない宿題はテストと線引きがされないので、やめた方がいいということ。同様に、テストに時間を2ヶ月使ったところで、答えを見なければそんなものは無駄だということにもなります。
次に、教育指導要領を越えなければ大学に入れないホンネがあるのに、教育指導要領に準じた宿題をやるなら、参考書を買って毎日といた方が効果はあるから、やはり宿題は必要がないということ。
最後に、宿題より遊んだ方が楽しいから、宿題はいらない。だからやらなくてよい。
これだけ正当な理由があるのに、現実には夏休みの宿題が出され、くだらない因習としての宿題はなくなりません。教員と夏休みの友の製造にかかわる業者に癒着があるかどうか。税金が使われているのです。私は地元の本屋で、私立高校の教員が授業前日に問題集を頼んでいるところをよくみかけますが、取次や出版社といろいろおいしい契約しているのでしょうね。
夏休みの宿題は早めに終わらせましょう!