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イスラム国は対岸の火事 〜クソコラから考える〜

イスラム国のカリフが地上を透明な膜で覆う目的

He will fill out the earth with peace and justice as it will have been full of injustice and tyranny (by then).

「彼は地球を平和と正義で満たすことになるが、それまでは不正と暴虐が満ちている。」

テロは起こらない。ここは中東からもアメリカからも、さらにはヨーロッパからも遠いからだ。けれども、昨今の不安につけこんで、確認のない極端な憶測や先入観が蔓延して、やがてナショナリズムにつながることに一抹の懸念を覚える。

イスラム国の人たちは、やたらと軍を展開したりだとか、市民を虐殺したりはしていない。たまにさらし首になっているのは、主に抵抗した軍属で、一般市民とは違う。いわゆるテロリストたちは、米国メディアにより、市民を虐殺したり、レイプをする、という誤報が積み重ねられてきたことは残念だと、その具体例を引用して訴えている。

わが国におけるラディカルな面への傾斜は、事実に基づいていないために危ういことを述べた。もうひとつは、もはや所属や語らいになんらメリットのない、ナショナリズムの暗い側面だ。多くの言説は、政策や国策といったものに訴求することでナショナリズムの下での結束を確認するが、若年層の過酷な状況からそれを見たら、正直どうだろう。

たとえば、人材がいるのに、人材育成について議論をしていることがある。次に示す「クールジャパンと英語」に関して催されたお飾りのイベントをみて、腹を立てない人はいないと思う。内容は、2020年の東京オリンピックに向けて英語の公用化の是非を話し合うというもので、すべて日本語で行われ、日本語で示されている。出席者は英語ができるわけでもなく、体系的に学んだわけでも、教授ができるわけでもない。古市憲寿は留学経験はあるようだが、彼には英語はできない。そして、他に英語ができる余剰人材はいるにもかかわらず、金銭はすべて形式主義ナショナリストたちに吸われていく。

今のイスラム国がやっているのは、カリフによるオーバーレイネットワークの下に、まさにこういったナショナリズムという擬制で分断している諸要素、つまり国家が作用する、という話だ。実際に、ナショナリズムや、西洋東洋の文明や覇権などといった、くだらない二項対立の闇深くに落とし込まれた私たちは、どちらの陣営が何人死んだ、あちらが市民を虐殺しこちらが恐怖政治で野蛮だ、というような誤報の応酬と、形式主義ナショナリズムというまやかしによる失敗など、冷戦の時代から、同じようなことを繰り返し続けている。

こうして、宗教・思想を中心に据えながら、世界に線を引いていたナショナリズムを地上から分離して、その分離を融合した場所に多くの人々が魅力を感じたときには、否応なくそちらへ引き寄せられていく。これが、イスラム国とカリフ制の特異な部分であり、彼らの目的の一端でもある。今回はたまたまムスリムだったけれども、次はアジアかもしれない。そのときに、日本がリーダーシップを発揮する、中国の覇権が、または韓国がどうだ、という話にはならない。

イスラム国との接触から情報社会とそのバイアスを考える

情報はフラットであるけれども、世界的な視野から眺めると、わが国では各方面での特殊性がこうした思想の往来に関して阻害要因となる。阻害要因には主にふたつの因子がある。まず、物流や地理的原因によるもの。次に、権力が介在して実質的な鎖国状態を策定するもの。

原則、情報の交信は自由であり平等でもある。一部には原理主義だとか過激派だというレッテルを貼られていたイスラム国も、オープンな場で情報を出している。前線の兵士までツイッターをしているから、高揚する士気もあり、ゲームをしていたり、ときには人を殺していたりもする。また中国でも、規制や禁止があるはずなのだけれども、実質的には、いろいろ手を使ってツイッターをしている。中国の友人にはこう教えてもらった。 People are smart.「人民は賢い。」このように、オープンな状態と、従来のクローズドな状態が、あまり交わることなく並走しているようにも考えられる。

しかし、情報のやりとりは、既成現実の影響を様々な角度から受けて変化する。

イスラム国への情報発信と受信に焦点を絞って考えてみると、まず、日本国内の鎖国的囲い込みに立脚して情報を統制しようと試みる者があるので、誤解を招くような、または誤解を誘導しようとするような情報が、間に入ってくる。従来から情報のやりとりに権力が介在することがある。その中でも、とりわけ、わが国は官僚制機構とその類似の形態の内外ともに情報を囲い込み、鎖国状態にすることで、内部の抵抗を弱体化させることに注力してきた。

たとえば、国際交流の囲い込みがある。せっかく世界の個々がつながったというのに、必ず余計な人が解説や翻訳をしはじめる人もいる。さらに焦点を絞ると、外国人向け美人局でもある、いわゆる通訳女の問題は、成城にも東大にもある。これが、他の国際交流をしたい人をよせつけずに、インナーサークルを生み出してしまう。そして彼女らは彼らとの性交に持ち込むのだけれども、これは国際交流をいろいろな場面で阻害している。

 このように、いわゆる政治的な霞というものはあって、非真正なこの類いの世界では、様々な意図がドロドロとしているだろう。人質がとられたら偽情報を流したりとか、そういうことを政府や国家に準ずるマスの層は、得意の同調圧力で大衆煽動し、ときには道徳を伴って強制してくる。

これに対して、インターネットと端末が世界中に普及したときには、一体化が進行する。まず、国内の一体化が起こった。2007年からボーカロイドのブームが続いたけれども、今では当時の中学生であったトップアイドルが、その凡人の曲を聞き薦めるまでになっている。2008年に出した拙作を、乃木坂46の生駒さんに、公式ブログで曲名をでググれ、とまでおっしゃっていただいていたけれども、住む世界は私とはもちろん違う。

また、世界の一体化が進んでいて、英語を頑張って身につけていけば、いろいろな情報が手に入る。コネクションも、徐々にできあがってきて、たまにDMが来て情報を交換したりもする。こういった、真正な場での、野生のグローバリゼーションは、非真正なものとは全く逆で、個人的には大いに期待を寄せている。そうした中で、イスラム国とカリフ統治の現在から、東の方でマフディーが出現する蓋然性という、コーランイスラム教徒の考え方を知ることもできた。

こうして、真正な世界では、野生の私たちは、ただ持てる知識で正確な情報を流し、それぞれに伝達と受信ができたら、それによってなんら制約を受けるということはない。真正性が担保される理由は、ひとつには、まだイスラム圏と私たちは接触がはじまったばかりで、政府や官僚より我々に頭脳的な分があるから、対応が先手で打てるという部分がある。また、対話が機能していることも重要な根拠となる。インターネットは双方向性を生かすことができるものだと、私は信じているし、これまでも爆発的なものは、ほとんどがこの双方向間から発生してきた。

だから、もはや、わが国で権力者が海外との接触をクローズドにするよう同調圧力をかけても不可能であるし、こうすべきだああすべきだと注文を付けるようならば、ただの難癖にすぎない。方向が明らかなのに力をかけて、並行しようと、装おうと無理をすれば、衝突し、悲惨な結果になる。それでも、囲い込みを促す権力の介在の消去は、待てば解決するのではないかと考えている。

今後、わが国にこのイスラム国がどう影響するかは、分からない。それは、最初に述べた地理的な要因に起因する。つまり、シリアやイラクは、ここからは遠すぎるし、わが国は四方を海に囲まれて鎖国が一応は数百年成立していたという背景が、あまりにも近い友人を、これほどまでに遠くへとまわさざるをえないということにある。ただ、イスラム国には多くの国籍の人々が集合している。イギリスやマレーシア、インドネシアといったテロの発生をよく耳にする地域に加えて、今回は、チェチェンや中国などからもイスラム教徒が集合している。日本には東京の下北沢と八王子にモスクがあるけれども、どちらもサウジアラビア系で、これらと直接関係するものではない。けれども「国づくり」手法の洗練と、接続の便は、これまで以上に高まったことと考えられる。このように、黙っていても向こうから世界は近づいてくる。

もちろん、たとえば北朝鮮のようにクローズドな国家もあるのだけれども、不特定多数に向けた公開情報に接触することや、不特定多数への発信を禁止しているために、情報が伝達されず、それを用いるところにもいない北朝鮮は、国際関係において適切なプレゼンスを持たず、もはや風前の灯火のようにも思われる。それに、敵対関係の演出はフェイクでしかない。それは今では、誰もがもはや口にしないだけだろうけれども、真に受ける人もいるという些末なことに過ぎない。

オーバーレイであるような、カリフによる統治の概念に対して、内向きに垂直統合を続けることは、抵抗というよりむしろ従属を意味することになる。国内だけに目をとどめると、国家や会社などの権力により、気がつかないうちに規律を内面化させていることがある。それは上述のように、無理な状態に移りつつあるため、継続すれば衝突を起こしかねない。そして、私たちの情報のやりとりを規定する現実感は、結局のところ同調圧力に作られた権力の作用でしかなかった。ところが、垂直統合させようとする権力の囲い込みにもかかわらず、様々な考えを持った人たちと、平らなところで、実際に直接意見を交換することができるようになった。これは従来、留学などの国際交流が実質的には権力を介して行われる「虚栄の市」であったところから、かなり踏み込んだことになる。このように、時間の経過に比例して、状況は変化することになるので、バイアスのかかり方も変化する。

ヨルダン人パイロット殺害とイスラム国内部の亀裂

「テロリスト」の動画をシェアすることは、テロに加担することになるから、やめろということをしたり顔でいう人がいるようだけれども、アメリカ経由のプロパガンダであると考えられる。それは、話の出元がみなアメリカ在住の邦人や、BBCの記者、それに、どういう経路かコミケとかに出ている同人のコスプレイヤーが米軍関係者なる者から聞いた話などであるためだ。このプロパガンダに影響された日本人や他国に駐留する邦人が、シェアを否定する見解を広めている。

しかし残虐性が過度になるときには、それが善の善なる策ではなかった。

ヨルダンのパイロット、ムアーズ氏の処刑に関しては、香田さん殺害事件にも関係したザルカーウィーから影響を強く受けたとみられるバグダディ直下のグループにより行われた。映像の最後で、被害者は生きたまま火をつけられ、大声をあげながら炎上し、ついにはブルドーザーを使い、砂利でその遺体を消火するというものであった。

これは、イスラム国の各国支持者たちには、あまりに行き過ぎた残虐さであると感じられたようで、普段から「処刑した!」などといっている人たちでも、「私は火刑は好きではない」という声が漏れてくるほどであった。あたりまえだけれども、残虐さゆえに求心力がまず近い支持者から離れた。

そういうわけで、動画が拡散するまでにためらいがあり、少し遅れてから拡散されていった。その後、被害者の出身国のヨルダンは、イスラム国に属する死刑囚の処刑、報復の空爆と、矢継ぎ早に報復行動をしている。

その一連の中で、今度は中東の国家間レベルに引き上げて考えてみると、まずスンニ系のシンパが動揺したように思う。ふたを開けると、アラブ諸国には強烈に突き刺さってしまい、イスラム国の思惑と反対に、各国が協調に向かって動いている。

そればかりか、湯川・後藤氏といった者の殺害では日本の世間はほとんどだんまりであったのが、ムアーズ氏の処刑に関しては、苛立ちや怒りがそこかしこから噴出している。

こうしたことは、あくまでツイッター上で英語とアラビア語、それにフランス語から収集して考えられたことだけれども、この記事では、火刑に関して内部にも反発の声があったことが確認できる。(東京新聞:「イスラム国」の宗教指導者 焼殺反対 地位剥奪か:国際 (TOKYO Web), 2015年2月7日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015020702000125.html)

イスラム国は対岸の火事 〜クソコラから考える〜

日本とイスラム国の距離

イスラム国は「対岸の火事」でしかない。日本でわけのわからない指揮系統で「テロが発生する可能性」は、完全にゼロではないけれども、極めてゼロに近い。国内では、今までも警備に関係なく、実際そのようなことはほぼ発生していないし、犯罪発生率も低く、凶悪犯罪も知能犯も、昔の方が悪質だった。蓋然性の高い犯罪は身内による殺人であって、テロなど起こり得ない。国外という区切りからは、同様の傾向*1に加えて、3つの点で日本とイスラム国の距離を考えることができる。言語・文化、技術、そして地理的要因。

言語や文化という点では、まず国内のムスリムの構成比はほとんど無視できる範囲で、これはテロが発生している諸外国とは大きく異なる。イスラム国から発信された犯行声明文を読んで、言語がどれほど通じていないかを感じ取ることもできる。*2技術的な点では、砂漠を主体に人海戦術と法による統治を徹底しているため、航行能力のあるミサイルや航空機を得ているとは考えられない。地理的な点では、距離が8500kmも離れている。

こうしたことから、イスラム国のシンパは、たしかに世界中にいるかもしれないけれども、わが国に関してのみ、それは該当しないことがわかる。実際、他国が数百から数千人のイスラム国参加者を抱える中、日本からの渡航はそういった規模ではない。*3

それぞれの本音と建前

政府の本音としてはおそらく「めんどくさい」。とはいえ、「安倍首相辞任要求」は事件をめぐり噴出した議論の主題とは違う。首相はやることはやっているし、そういう主題に人質事件をすり替えようとしていた官邸前でデモをしているような人たちというのは、今日も明日も「安倍首相辞任要求」をしていて、それで食べている。一方で、人質の解放は明らかに建前になっている。「人命は地球より重い」とはダッカのハイジャック以来の基準で、また人命尊重は政府間レベルでは本当にその通りだけれども、政府にとってもよくわからない連中がよくわからない連中に人質に取られたという遠い「対岸の火事」だから、なにもしないという難しい仕事で、人質の解放を目指すというよりは、事件をだらだらと引き延ばすことになる。

市井の人民の要求はなんだろう。建前ですら、人質の解放を願ってもいないのではないだろうか。建前では、ああ怖いねえ、といいながら、本音では「どうでもいい」という空気を感じる。私たちは日々の生活で手一杯で、特殊な人が危険なところに行って台本通り捕まったところで、それどころではない。まして、イラク戦争よりも多くの人が、これまでに平成不況で自殺している。精神も病みきっている。たかが中東の戦場など、正直な話、先進国の無意味で過酷な労働条件に対しては、まだ甘いのだ。そういうことを察知して、日本国民の人質に対する無慈悲を、ISISも声明で指摘することとなる。

マスコミと市民の声*4は、建前では後藤さんを救おうという中で、最初は安倍首相の辞任要求や憲法九条の世界への拡大が本音であった。しかしその本音に擦り寄るメリットがなく、また露骨すぎてすぐにバレてしまい、建前を粛々とすすめながら、明日はまた政権批判デモをどこかで同じ人が繰り返す。

こうして、それぞれの思惑が交差するとき、その他を巻き込みつつ、やがてそのすべてを詰め込んだような、ほとんど不謹慎きわまるものの精神の体現のようなものが誕生することになる。

クソコラグランプリ

クソコラとは、粗さや雑さを残す手法で、デジタル写真を合成したり、コラージュの手法を適当に駆使したもので、以前からツイッターを中心に流行の兆しがあった。たとえば、ポケモンのキャラクターである「ヌマクロー」を、ポケモンの公式側が悪乗りして取り上げたことでも知られていた。*5

もちろん、国外でもこうしたものが流行していて、フォトショップとかフォトボムとか呼ばれている。あるいは、ミームというように呼ばれることもあるかもしれない。

これが、イスラム国の脅迫動画に飛び火する。

結果、フランス、フィンランド、イギリス、アメリカなど、世界中で絶賛を得た。実際、なにもしていないうちから各国語でリプライが飛んでくる。また、デイリーメールなど、各国大手紙もすべてクソコラを取り上げ、概ね好意的であった。比較的こうしたできごとに保守的なBBCも取り上げ、ワシントンポストアルジャジーラなども早々に取り上げている。もちろん、イスラム国の関係者や支持者たちも驚愕させることになる。*6

クソリプとパクツイ

クソリプ*7と呼ばれる、関係ない話題や的外れな返信を行う者も現れた。たとえば「大阪都構想についてどう思われますか」などと聞いて、困らせたりする。日本人からジハーディストへの質問攻めもあった。これらのクソリプ攻撃、特に日本語によるものなどは、相当な効果を発揮していて、ジハーディストに「英語にしてくれ!」などと発言させ、焦りやイラつきの感情を与えることに成功した。もちろんその後には、英語で翻訳されたクソリプが飛んでくることになる。

また、パクツイや無断転載によって、クソコラグランプリは凄まじい勢いで拡大した。本来は、パクツイや無断転載は忌避される行為なのだけれども、国際情勢を省みたときに、政治的特例という意識が働いて、意図せず、作り手と送りつける側の分業に成功したと考えられる。

その後、いくつかのコラージュで引用許諾を取らずに掲載したために、引用元の人が憤るなどの失敗もみられたけれども、これは著作権の問題になる。もちろん、配慮することが望ましく、今後の課題でもある。

結果としての成果

あるイスラム国の関係者は、「クソコラのようなことをする日本人は残酷か?」という問いに「彼らはスマートで頭が良く、また平和的(わきあいあいとしているということ)だから、尊敬している」と返信をくれた。イスラム国で戦闘に参加する司令官クラスでは、ISISごっこを見て「イギリスの兄弟(ジハーディー・ジョン)も有名になったものだ」と感慨深げであった。兵士は「こちらの兄弟はみなクソコラを見て吹き出している。これは日本にやられた」といい、宗教指導者も「恐るべきことに、日本人はクソコラにも自主的な規定まで設けている」といった感じで、怒っているというよりは、してやられたという形の感想がほとんどになる。実際、クソコラ以降の彼らは、勧誘的なビデオであったり、処刑のビデオであったり、それまで積極的にアップしていたものに次々とクソコラが送られてきて台無しになることから、アップロードを手控えるようになったり、自分たちのビデオよりもむしろクソコラの方を、笑いや日本文化への興味関心に耐えかねて拡散したりと、結果的にイスラム国のプロパガンダは惨憺たる状態になっている。こちらの方が面白いと思わせた方が「致しても致されない」*8

それだけではなく、遠くフィンランドからフランス、イギリス、アメリカと、世界中から、日本の一般の人々に対する敬意・リスペクトが次から次へと、各国の言葉でツイートされた。これほどアホなこともそうはないと思う。たとえばフランスからは「あなたたちには皮肉のセンスがある」とフランス語でメッセージが届き、アメリカからはよりストレートに「ISISの関係者は英語は第二外国語として使っているから、多分怒りを表現できていないのだと思う」という考察が送られてきた。

官邸前デモは顰蹙を買う

国内外でデモは不評であった。
官邸デモについては、以下のようにほとんどのコメントが否定的なもの。*9コメント抜粋。「3週間遅いし日本はそこにいなかった。」 "I’m sorry but I think these guys are at least 3 weeks late. Japan was not there for Je suis Charlie."*10

 参加者は、日頃から官邸前でデモを常習的におこなっている人たち。「ミヒョンさん」や「デモの常連客」という、少し顔をしかめてしまうような人もいる。

この参加者が申し合わせて憲法9条に関する画像をアップし続けたために、ハッシュタグが機能しなくなったり、散々だった。

海外では憲法9条は知られていないし*11、テロ事件となんら関係がない話題であるだけでなく、日本から特に要人がシャルリーのデモに参加したわけではないため、共感が得られなかった。

その上、論旨を離れて政権批判が開始されてしまう。

フェイスブックからきた官邸前デモは、反原発や9条の会などが動員をかけていて、参加者はあきらかに国外の人であったり、常習的に参加するような極左勢力の人たちだった。たとえば、リンクを辿っていくと、日頃から官邸前で「反原発」や「ダム建設反対」といった極左デモを行っている。それだけではなく、クソコラグランプリに出現した「不謹慎厨」のほとんどが、こうしたデモの参加者であった。彼らは政権批判や論点ズラしを中東訪問とリンクして行い、拙いながら、実用上満足できる外国語も用いる。*12
これに加えて、当該団体が緊急行動?を行う前日のテレビ朝日報道ステーションに出ていた、解説か何かの人物は、この活動とリンクした発言(安倍首相批判のプラカードを掲げたいという発言)をしてる。ただ番狂わせがあったため(クソコラ)、前出の人たちは、手順を狂わされたことに対して義憤に駆られているのだ、と考えることができる。

これが今回、政権批判をネット上で繰り返していた者の正体ということになる。

そして、大して国際的影響をもたないまま、クソコラを集団で叩いていた人たちの方を朝日新聞が特集する。もちろん彼らは極左集団で、これまでにも官邸前デモを繰り返している*13

イスラム教の値踏みは徒労

イスラム教を値踏みすることは、効果のない労力でしかなく、無駄だった。
「真実のイスラム教」と「間違ったイスラム教」という分断のロジックが用いられることがある。たとえば「イスラム国はイスラム教の皮を被っているだけでただのテロリストだ。だから、真実のイスラム教徒はその他の人たちだ」といって、これがイスラム国の宗教性を否定するロジックとして用いられる。
分析した結果、ことが起こったときの言い訳に使われると判断して、先手を打って統合しようと試みた。つまり、イスラム教それ自体の責任として糾弾して、譲歩を引き出そうとしたのだ。
これは私が間違っていた。それは、わが国においてイスラム教徒(ムスリム)の占める割合は、諸外国に比べると圧倒的に低いためで、特段取り上げてみたり、値踏みをする対象ではない。

マスコミとジャーナリズムの動向

フジテレビが人質事件の取材に行って、事故を起こして死亡者が出た。結局、マスコミのせいで実際に人が死んでしまう。*14

大所高所からマスコミやテレビ局と関係の深い日本人ジャーナリストがこぞって「ネットのせいでテロの標的になり不安が拡大する」と、一方的に宣伝していたのに、人質事件の取材で2名が死亡している。数字だけ考えたら、これには頭を抱えてしまう。

政府から国外退去の注意が出る一方で、商売としては記事を書くためにネタを取りに行くことは当たり前だという、ジャーナリストたちの現場での規範的認識がある。不用意に「やるな」というだけでは、商売や職業的情熱などがかかっているため、どうにもならない。*15

国内から海外までの反応

さて、国際問題としてのクソコラは、国外において広く喧伝されたこともあり、国際的な地位を確立した。それにもかかわらず、あたかも国内のみで通用する問題であると誤謬する者が多く、韓国や中国へのヘイトスピーチや、不謹慎だとの意見表明*16、主観に基づく不愉快感の表明、愛国心がどうのこうのと空気を読めない人、ルールを喧伝する者*17などがハッシュタグ内にあふれてしまい、イメージダウンにつながっている。BBCはこれを日本の独自性として「自己責任」とからめて特集していた。これを、まとめサイトやライターなどの無能な誤訳と誤読が、さらに増幅させていて、それを読んだ者がまた不謹慎だとか不愉快だとかいいはじめるために、負のスパイラルになってしまう。*18その例を一部、以下に列挙する。

この記事中*19にある「ネット上の声」というのが、実はほとんど、極右と、極左反原発系だとか憲法9条の会だったという話。この著者は状況を誤読している。

 また、この正確性を欠く国会議員の発言は、アルジャジーラの日本語への誤訳を否定的に受け止めた上で発信されてしまった。おそらく自分自身では英語の読解はできないのだろう。

佐藤正久@SatoMasahisa
アルジャジーラが日本の「クソコラグランプリ」文化を「変わった反撃」と紹介】その論調が、イスラム国の行為を支持している日本人もいると紹介している由。イスラム国アカウントは45人の日本人をフォローとの情報も。危険、止めるべき!*20

どういうことかというと、「不謹慎という声もある」という部分が、さもアルジャジーラが「不謹慎だ」といっているかのように誤訳されてしまっている。

また別の記事*21では、

海外から見ればそれは「挑発」としかうつらないだろう。

と先入観で決めつけ、また

「日本人よ、ずいぶん楽観的だな。5800キロ離れていると言ったから安全なところにいると思っているのだろう。我々は世界中のいたるところに兵士をもっている」、「2人の人質を処刑したあと、お前たちの顔を見てみたいものだ」

と、その場でハッタリをかけたような、イスラム国の一部の人の意見だけを掲載する。これでは、紹介に偏りがあるうえ、内容が無茶苦茶であるし、分析や確認が不足している。どうしてこんな虚偽の記事を載せられたのだろうと、首を傾げてしまう。

こちらはカンボジアの邦人がよせた記事*22で、当事者でもないカンボジア人の意見を引用しつつ著者の感情でクソコラを批判している。前後に出た香港メディアの “Pacifist” という表現と同じもの。

さらに、jinというまとめブログの管理人は「クソコラ批判」をしていた。*23「批判的な意見をよせたネット民」の正体は、先にも述べたように9条の会や官邸前反原発デモをしているような極左だ。

あるいは、このまとめ記事*24は圧倒的に質が低い。たとえば、ネタ元を見ていくとほとんどがJ-CASTニュースやヤフーニュースの翻訳で、アルジャジーラを誤訳している上、リンクもない。先に紹介した「LITERA」も引用され、最後にはネットがソースの自衛隊あがりの国会議員の発言を引用し、安易な行動を控えろと訴えているけれども、誤訳を基にした警告であり、的外れな話だ。

批判に対する批判をしていくと、編集人に知性も英語の読解力もない*25「まとめブログ」を読み、それを元に発言するという行為が広範に行われているという現実を知ることになり、うんざりする。 

おわりに

様々な視点から考えて、イスラム国と日本では、距離が相当あるのだということを述べた。また、デモを生業とする市民団体のような勢力と、誤解と誤読をしたまとめブログから流入する勢力の「両極」が、いかに無能無策で、その発言や表現がどれだけ国益を損ねているのか、後半では批判的に考え、具体例をいくつか取り上げて確認した。

たしかに、クソコラグランプリなどという一連のできごとは、概ね倫理規範、道徳からすれば、とても「醜い」ものだろう。けれども、文化や法律、宗教・思想といった側面から照らしてみると、いくつかのタブーを厳密かつ的確に適用しているために、それなりに整合性がとれた話として組み立てることができる。

もちろん、建前上は「テロを笑い飛ばす」ように誤解をされているけれども、核心の部分では、むしろ暴力やテロ、宗教性や人間としての常識、モラルなどに強烈な疑問を投げかけ、その不謹慎さを楽しむ、いわゆる「インターネッツ」の伝統芸という側面があることは否定できない。ときには落書か便所の掃き溜めとでもいわれるようなこの醜い精神が、結局は様々な問題に対して有効であったということを述べておわりにしたい。

ISIS (イスラム国)へのクソコラを評価されない方の論と、その批判

「現実」か「虚構」か近い方を選べ、といった形で提示される「単純二項対立」の安い罠が、そこかしこに仕掛けられている。そういう高尚なことは、国政などに近いエリートのみなさんがうちわで考えたらよい。けれども、コラージュはそうやって現実を虚構にしたという単純なものではない。慣れ親しんだ平成不況における残虐きわまる現実を背景に、テロの少ない現実で残酷とされている素材を異化し、どうせこの場では起こりもしないそれを強引なまでに非日常の遠くへと転換してから、結局は大したことでもない、正直なんだかよく知らない人の、たかだか数名の殺害という対岸の火事に反応している人たちがいる現実をみて、その差をからかっているにすぎない。

東氏は、テロリスト集団の動画が「虚構」化を促していることに本質的な意味があり、これとクソコラをやったネットユーザーは近い考え方をするために「一部で称賛されている『クソコラ』による抵抗運動を評価しない」と述べる。しかし、いくつかの点で誤認があると考える。

まず問題の本質的部分を「抵抗」という言葉で掴み損ねている。誰も抵抗しようとは考えていないだろう。次に、その評価は決して一部ではないこと。英デイリーメール紙の一面、WP、…というのは、まったくもって「一部」ではない。ためしにクソリプを送ってその反応みていたらよくわかる。

だからといって、クソコラが正当化されたり、なにか海外の各メディアや個人たちから抵抗の象徴のように扱われるとして、そのまま賞賛を得るとしたら、それは単なる外電のいいなりでしかないだろう。それらの賞賛も戦略に含みつつ、いかに批判をかわしながら、その場で「楽しむ」ための不謹慎さを担保していくか、という読み合いこそ現場であり、そういうものでしかない。また、誰かが宗教規範に抵触するような逸脱をしても、それは仏シャルリの事件と違い、個々人の問題に帰することまで、たいがい考えてある。だから、

イスラム国の感性と、首にナイフを突きつけられた人質たちの写真をアニメ風にコラージュするわが国のネットユーザーの感性は、彼ら自身が思うほどには遠くはない。」

という指摘は、私は本当におっしゃる通りだ、と考える。このなにがテロと違うのか。

他にも、対岸の火事であることを散々考えて、確認し、そこまで考えてあって、よし行け!ということになるのだけれども、所詮これは空中戦でしかない。地上戦でないと、やはり人は御せない。

8月から偵察して、ネット上での友人関係を悪くしてまでことに備えていた。空中といってもこれは危機管理の成果で、正直な話、選挙のビラを配るのと違って、友人関係を温めるしか、紛争回避における最善の策、孫子にいう戦わずして勝つ善の善なる者とはならない。

そういうわけで、日頃から情報を収集していた。その点についてはさらに、ベトナムについてもやり方を学んでいたし、それがいわゆる白話で可能だということも考慮していた。そして、叩かれることはボーカロイドでもよく知っていた。

ただ美醜で言えば圧倒的に醜いし、それで悟性が出てくるなら、そういう評価で構わない。

悟性というのは、著作権の部分で面白い発見ができたことである。その観点からは、法よりはむしろ規範的に、テロリストのプロパガンダは、著作権が保持されていようとどうあろうと、その組織の人間をコンテンツとして使う限りでは、誰にも訴えられない上に、便乗できるという、大変利用しやすいものだということが理解できた。

失業に現実も虚構もない。だから、テロの動画なんか「対岸の火事」以上には到底認識できない。そんな枠にさえ入れない事実にいる。その事実を受け入れた上での一抹の楽しみさえ奪おうというのであれば、その人は、よほど恵まれているのでしょうね。よかったですね。大概それも、テロと同じで、対岸の火事みたいなところから送ってくるものなのではないですか。

イスラム国の利用価値について考える

イスラム国は、国家としてどこからも認められていないけれども、宣伝が上手い。この宣伝が上手いという稀有な性質を利用し、彼らからメッセージや宗教の性質一切を、法律の側面に注目して洗浄することで、いわゆるテロリストのプロパガンダを洗浄し、換金することが可能であることを述べる。

訴訟の回避

法律のなかでも、ここでは、特に昔から国際性を持つ枠組みである著作権法に注目する。

ジハード戦士と、彼らの出演部分に限った映像を勝手に利用して、利用したものを売ったとしても、イスラム国からは訴えることができない。それは、イスラム国が何者にも承認されていない組織であることと、それに所属する個々の名義が特定不可能であることから考えることができる。

たとえば、イスラム国は現在、国際法上も規範上も事実上のテロ組織である。したがって、法人としての著作権を主張することは不可能であり、また、主張した時点から物理的な係争が予想されるため、次々に関係先やアフィリエイトが各国に知られてしまうということになる。そうなると、イスラム国がテロリストであると主張する側にとっての攻撃対象や、いわゆる刑事事件の関係先が判明してしまうことになるのだから、イスラム国側がこれを主張することはできない。

またメンバーの大半が、いわばイスラム国での活動名のような名前を持つため、たとえばイギリスにジョンという人が実際に存在したとしても、イスラム国に所属してビデオに出演したジハーディ・ジョンは「別名義」であるから、その人と関係があるかどうかは立証することができない。もし、同一性が立証されたとして、その場合はむしろ刑法やその類で優先的に裁かれることになる。犯罪組織に所属する個人であると判明してしまうためである。

ただ、人質に関しては注意が必要になる。人質の死後も、その人質が出演した部分に関しては、著作権が発生し、保護されている。そのため、法令順守の観点から、利用可能な素材はイスラム国に所属する者やコンテンツに限定される。たとえば、イスラム国が制作したナシードや、宣伝映像で市民とされる者が映らない部分全般が、すでに彼らの宣伝により影響が広まっていたとしても、その部分も含めて利用することができる。

新しい権利の主張

この状態では、権利は宙に浮いている。この宙に浮いた権利を、各自のあたらしく仕事をした領域で、すべてその個人に帰属することができる。これにより著作物の権利を主張することができる。

たとえば、バックトラックを差し替えたり、映像を組み替えたりしながら、オリジナルの要素を付加することで、権利を主張できる。権利が主張できる場合、その著作物から後で要素を付加して配布される二次的著作物や複製物全般に、要素を付加した者が、その権利を行使することができる。

同一性保持

メッセージ性や宗教性を排除することや、組み替えたりすることで、法上の問題に発展することはない。先に述べたように、著作者の人格を規定することができないため、同一性を保持しなければいけないということはない。

ただし、その後にオリジナルの要素を付与した状態の著作物では、これらの権利は保持される。それは、要素を付与した時点から権利が発生するためである。

販路と規範

社会的に許容されるかどうかという部分では、同業者集団の利害関係や、政治的圧力により、販路を同人などに限定してくることが考えられるけれども、同人流通では精神攻撃や中傷などを受けることは確実で、ひどい場合には精神的に参ってしまうかもしれない。

ところが、いわゆる二次創作やボーカロイドなどと違い、著作権法上の問題をすべて回避しているため、独自に販売する分に関しては、市販の流通経路を用いることが可能である。たとえば、アマゾンのマーケットプレイスなどが考えられる。

また、国際的に通用することを利用して、グローバル展開する決済可能なプラットホームなどで、コンテンツとして売却することができる。こうなると、誰も何の難癖もつけられないだろう。

おわりに

このように、各種の問題を回避し、宗教性の除去に配慮しながら、著作権法上の権利から考えることで、テロリズムを有効に利用できることを述べた。そういうわけで、正面から見ると、場合によっては、一見対抗するすべのないような恐怖のプロパガンダを、内容を洗浄してムーブメントにすり替えてしまうことで、あまり宣伝に苦労することなく、安価に、そのまま素材として有効活用ができる。

 

 

*1:gated communityに関する議論を参照

*2:https://pbs.twimg.com/media/B83BV8FCMAAJwZz.jpg

 

*3:日本を探してみてほしい。存在しない。

 

*4:一般の人というよりはむしろデモとかやってる人たち

*5:どうしてこうなった ポケモン公式が「ヌマクロー」のコラ素材をまさかの配布 - ITMediaねとらぼ, 2014年12月04日http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1412/04/news159.html

*6:ここではNY限定ではなくて、全世界規模での評価の話をしているけれども、多文化共生地域であるNYに限っても好評で、その評判は以下に詳しい。 【ISISクソコラ】NY在住者が体感したリアルな高評価! | まぐまぐニュース!

*7:ある程度テンプレがあり、たとえば「横から失礼します。あなたの〜というツイートは、実際・・・に悩まされている人に対して不謹慎だと思います。ですから、原発再稼働には反対です。長文失礼いたしました」

*8:孫子』の一節

*9:Rally for hostage ‹ Japan Today: Japan News and Discussion http://www.japantoday.com/category/picture-of-the-day/view/rally-for-hostage

*10:cf. 劇訳表示, 2月2日AFPなど ex. 【首相官邸前でデモ】「I AM KENJI」→「安倍を倒せ」・・・ん?【ISIS人質】, 2015年01月26日 http://www.gekiyaku.com/archives/43074405.html

*11:以下のように、日本が軍隊を持っていて、どこかを攻撃しているかのような勘違いがまかり通ってしまう。もちろん誤解

@h_chairman85 @ThinkAgain_DOS and the Japanese solders are innocent peace makers? What's your point?

— TypicalAtheist (@FairytailsRU) 2015, 2月 4

*12:お察しいただきたいのだけれども、海外と連絡を取るような行為に支障がない程度の言語能力、と言い換えて差し支えない。つまり、この人たちを通じてフェイスブックなどからテロの喚起がなされることが考えられるため、危機感を覚えたほうがいいということ

*13:「I AM KENJI」 解放願う声、世界に広がる:朝日新聞デジタル, 2015年1月26日 http://www.asahi.com/articles/ASH1T5F6NH1TUTIL01C.html?iref=com_alist_photo

*14:イスラム国殺害脅迫】フジテレビ同行の日本人女性が死亡 トルコ - 産経ニュース

*15:国から退避勧告が出ていても取材する時は取材するというのがジャーナリズムだと思うけど。それを国が批判するのならわかるけど、他紙が批判的に報道って自分で自分の首を絞めてるような。/朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国 読売新聞 http://t.co/1oBKEeil2d

佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2015, 1月 31

*16:いわゆる不謹慎厨

*17:ガイドライン

*18:これは、当事者が無自覚な「バカッター」ではないだろうか

*19:ISISイスラム国)メンバーが日本人人質コラ画像に激怒か?ネット上からも厳しい批判の声 - AOLニュース 今岡憲広, 2015年1月21日 http://news.aol.jp/2015/01/21/bakatter/

*20:アルジャジーラが日本の「クソコラグランプリ」文化を「変わった反撃」と大々的に紹介 - 面白ニュース 秒刊SUNDAY,2015年1月22日 http://www.yukawanet.com/archives/4813821.html

*21:イスラム国も激怒!? 日本ネット民の人質事件コラ画像が平和ボケすぎる! - LITERA, 2015年1月23日 http://lite-ra.com/2015/01/post-812.html

*22:「平和ボケ」という表現/平和ボケと自己責任論に違和感 - Yahoo!ニュース, 2015年1月25日http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150125-00010001-jindepth-int

*23:【やりすぎ】クソコラに続き、「ISISごっこ」 : オレ的ゲーム速報@刃, 2015年1月25日 http://jin115.com/archives/52064316.html

*24:ISISクソコラグランプリがフランスメディアに評価されカオス - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2142213089994337101

*25:問題は英語の読解力がまったくないのに、国際情勢をまとめて勝手に観念から意見を附してしまうところにある

 

注:この記事は過去の記事を集成したものです